日本最初のこどもは障碍児で親に棄てられたけど、この話には続きがある

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海に浮かぶ小舟

昨日、

きっかけは、この文章を読んだことだった。 そして僕はここで初めてこの『hなhとA子の呪い』という作品を知ったんだけど、これは確かに、僕...

って文章のなかで、『古事記』における「国産み神話」から性欲について考えながら、

女性の「いのちを懸ける」というリスクに対して、男性が「全力で愛情と覚悟を伝える」というプレゼンをすることで成り立つというのは、少なくとも自分にとっては、なかなかしっくり来る気がする。だからこそ、イザナミからイザナギに声をかけるのはダメで、先にイザナギからイザナミに声をかけなきゃ、いけないってことなんじゃないの?

って書いた。でも正確にはこれを「ダメ」って言っちゃうのは少し問題があるんだよね。だからここをもう少し、補足しておこうと思う。

最初に生まれたこどもはヒルコという「不吉な子」だった

まず、その前後の部分をわかりやすく現代語訳してくれているページから引用する。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)は言いました。

「それでは、私とあなたでこの天御柱(アメノミハシラ)を互いに反対に回って会って、まぐわいましょう」

そう約束して

「あなたは右回りに、私は左回りに行きましょう」

と回ったら、伊邪那美命(イザナミノミコト)が先に

「あぁ、なんてイイ男なんだろう!」

と言い、その後に伊邪那岐命(イザナギノミコト)が

「あぁ、なんてイイ女なんだろう!」

と言いいました。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)は言い終えた後で

「女が先に話しかけるなんて不吉だ」

と言いました。

それで二柱が床で交わって作った子は水蛭子(ヒルコ)でした。

この子は葦で作った船に乗せて流して捨ててしまいました。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)は言いました。 「それでは、私とあなたでこの天御柱(アメノミハシラ)を互いに反対に回って会って、まぐわいましょう」 そう…

このことについては、別のサイトにもこんな記述がある。

捨てられた未熟児

「なんて素晴らしい男なんでしょう」「なんて愛しい女なんだろう」

伊邪那美命伊耶那岐命が、いよいよ国産みを始めようとしましたが、待ち望んだ第一子は、未熟児でした。

この第一子が、蛭子です。

両親はこの蛭子を不吉な子と見なし、葦で作った船に蛭子を寝かせ、海に放ってしまいました。

そして、居なかったことに。蛭子命は両親から自分たちの子供と見なされることはありませんでした。

七福神・恵比寿は、親に捨てられた子だった!? 生い立ちから、恵比寿様が歩んできた道をイラスト付きでご紹介。

つまり、ここからわかることは、

神話における「日本最初のこども」は障碍児で親に棄てられた

ってことだ。仮にも「神話」と言われる世界なのにもかかわらず、待望だったはずの第1子を「不吉」呼ばわりして海に放ってしまうなんて、なかなかひどい話じゃない?

そして、

古事記にはその後ヒルコがどうなったのかについては語られていません。

イザナギとイザナミがオノゴロ島に神殿を立て、最初に造った神が「ヒルコ」です。ところがこのヒルコは神としては不完全で三年たっても足腰の立たないものでし…

って言うんじゃ、どうしたっていい結末は想像できない。まるで、現代の病みがすでにここで表されてたみたいな、どうしようもない想いにもなりそうになる。

でも、この話にはまだ続きがある

でも実は、この話はそんなに後味が悪いままでは終わらない。

ちょっと、これを読んでほしい。

西宮神社の伝承によると、海に流されたヒルコは兵庫県西宮の「摂津国西の浦」に流れ着き、土地の人々に拾われて育てられ、「戎三郎(エビスサブロウ)」と呼ばれるようになりました。それが戎三郎大明神(海の神)や戎大神として祀られるようになったようです。

イザナギとイザナミがオノゴロ島に神殿を立て、最初に造った神が「ヒルコ」です。ところがこのヒルコは神としては不完全で三年たっても足腰の立たないものでし…

そう、普通なら死んでてもおかしくない状況にいたヒルコは、なんの縁もゆかりもなかったはずの場所で、別に血のつながりもなにもないひとたちの手で、改めて育てられたんだ。そして、両親からは絶縁された彼は、やがて「来訪神」として「エビス」の名を与えられて、大切にされるようになる。

海の向こうからやってきた来訪神・エビス

日本では昔から、海の向こうの国(=常世の国)からやってくる神様を、来訪神として迎え入れていました。

蛭子も、その海の向こうからやってきた神様として人々に受け入れられたのです。

来訪神は富や幸をもらたす神様として大切にされ、エビス様と人々から呼ばれていました。エビス信仰とも呼ばれています。

そういうことで蛭子は、不吉な子から大切な神様として祀られるようになりました。

日本各地では、来訪神を迎え入れて、祀ることが多く行われてきました。

その点、蛭子も民俗信仰的な部分を持っていると言えます。

七福神の恵比寿になる

航海の神様として信仰されるようになった蛭子が祀られている土地は、時間が経つにつれて市が多く開かれる土地になっていきました。

時代が変わり、その土地と共に、蛭子もその姿を変えてゆきます。

蛭子は市の神、商売繁盛の神としての神格を持つようになり、福神・エビス様として祀られるようになります。

そして七福神にも参加するようになったのです。

庶民的な神様として様々な人に信仰され、福神としてのエビス様として全国各地で有名になった蛭子は、今日では海を離れ農村の神、また産業の神としてなど、様々な場所で多くの福を招いています。

七福神・恵比寿は、親に捨てられた子だった!? 生い立ちから、恵比寿様が歩んできた道をイラスト付きでご紹介。

こうやって全体を通してみると、これはやっぱり、いい寓話だと思う

正直、最初の『古事記』や『日本書紀』を記述を見ただけだと、僕は暗澹とした気持ちになっていた。生まれてすぐ棄てるのもひどいけど、

3年育ててみたけどやっぱり足腰が立たないし……

なんて言って棄てるのなんて、ある意味もっとひどいじゃない?

でも、そのあとの後日談も踏まえて考えると、これはまさに、

棄てる神あれば拾う神あり

を端的に表現したお話だってわかる。それに、

たとえ身近な(血のつながった)ひとが愛してくれなくても、あなたを受け入れて、愛してくれるひとは、どこかに必ずいますよ

っていうことも伝えてくれてると思う。はっきり言って、

このときほんとに「未熟」だったのは、ヒルコじゃなくて両親のほうだったんだ

よね。そして、最初は「不吉な子」と言われたこどもが、やがて「七福神」の一員となって、現代にも続く「福男」の神事(十日戎開門神事福男選び)を見守っているなんて、なんて痛快な、いいお話なんだろう!

僕も、ヒルコのように笑えるようなひとになりたい

だから、

女性から声をかけたのがいけなかった

とか、

この子は不吉だ

っとかっていうのは結局、「親」(社会)が勝手に決めつけただけの意見だったんだ。でももちろんそれは当の本人にとってはつらかったと思う。親を恨んだり、憎んだりしてても別に不思議じゃないくらいに。でも彼は、今では「未熟児」の片鱗もない恰幅のいいからだつきになって、鯛なんか持ちながらニコニコと笑っている。それは内面に深い哀しみを秘めているのかもしれない。そしてそこまで至るまでには、たくさんの葛藤があったとも思う。でもきっと今の彼は、すごくしあわせなんだろう。それは、周りのひとたちの愛情があったからでもあると思う。でもそれと同じくらい、本人と意志と努力があったからだとも思う。だから、僕はこんなヒルコを心から尊敬している。そして僕もいつかヒルコみたいに笑えるように、これからもできることをしながら、生き抜いていこうと思う。

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