もう2度と、自分の肌の弱さと日光を甘く見ないと決意した

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灼けつく太陽

僕は肌が白い。そして、それは絶対に黒くなることはない。太陽の下で何時間いたとしてもだ。それはただ、赤くなって、白く戻るだけだ。別にそれだけならどうってことはない。でも問題は、その赤くなったときの肌がヒリヒリ痛んでしょうがないことだ。そして、その自分の肌の弱さは、僕自身がいちばんわかっていると思っていた。でもその認識なんて、まだまだ全然甘かったんだ。

久しぶりに長く外にいられて、僕はとても楽しかった

その日、僕は前々から友達と話し合っていた計画通り、久しぶりに外に出かけてしばらく過ごすことにした。ちょうどとても天気がよくて、レジャーシートのうえでおにぎりやパン、それにサラダを食べたり、そのへんの花を見ながら散歩してみたり、ちょっとした遠足みたいに、いろいろ楽しいことができて、とても充実した時間を過ごすことができた。

ただ、その途中で、

顔とかだいぶ赤くなってるから、もうあんまり無理しないほうがいいかもね

って言われて、確かに自分でも、少し顔がヒリヒリし始めてるのを感じた。それで、いったん友達の家に入って、顔と腕にアロエを塗ったら、顔の痛みはほとんどなくなって、腫れも引いているように感じた。だから、これですべては解決したと思い込んでしまったんだ。そして、楽しい1日はそれで終わった。

意外な場所に違和感を覚え始めたのは、その次の日だった

でもその次の日、朝起きて昼を迎えたあたりから、僕のからだの意外な場所から、違和感がし始めた。それは、背中だった。最初はなんとなくヘンな感じがするくらいだったのが、だんだんとチリチリしたような感じに変わって、それから今度は鈍い痛みに変わってきた。でも僕の家にアロエはなかったから、僕はひとの助けを借りて、背中を氷のうで冷やしてもらうことにした。そしたら、だいぶ症状は和らいだ。

でも、夜寝る時間になったとき、もう氷はぬるくなってしまっていた。それに、寝ている間も氷を背負うのは、寝返りとかにも支障が出るからってことで、僕は氷を外して横になった。そして、気付いたら眠ってしまっていた。でも実は、ほんとに大変なのは、このあとだったんだ。

真夜中に、痒みが僕を叩き起こした

どのくらいの時間が経ったのか、僕は真夜中に突然目が覚めた。そして寝ぼけていられたのもつかの間、僕を猛烈な痒みが襲ってきた。そう、背中からだ。

僕は毎日、その日によって変わるコリや痛みにはもう慣れている。首、肩、腰、腕、足首……。それは日によって場所も強さも様々だけど、「そういうもんだ」と割りきってしまえば、意外と対応できる。なんてったって、こっちは20年以上のキャリアがあるんだからね。「手術」っていう修羅場だって、何度か体験してきた。あの麻酔が切れたあとの痛みに比べれば、そうたいしたことじゃない。ひとの「適応力」は相当なものだ。

でも、「痒み」っていう苦しみは、「痛み」とはまたまったく別種のものだった。

痛みが体罰だとしたら、歯を食いしばればなんとか耐えられる。でもかゆみっていうのは、なんていうかもう少し陰湿だ。まるで聞こえるのをわかっていて囁かれ続ける陰口みたいだ。無視しよう無視しようとしても、からだがそれを訴え続ける。からだをよじってみても声を出してみても、それは治まらない。まして、「夜中」っていう他に気を紛らわすものもない環境では、その存在感はますます、大きくなっていくだけだった。

さらにもし、このまま起き続けてトイレに行きたくなりでもしたら、もっと面倒なことになる。独りの力では、いちど乱れたふとんに入りなおすこともできない。とはいえまったくできないわけじゃないけど、完全には暖を取れないし、いろいろ手間と時間がかかる。さて、どうしたらいいだろう?

「痒み」という感覚は、なんのためにあるんだろう?

そうこうしているうちに、僕はやっぱりどうにかして気持ちをできるだけ落ち着かせるしかないと思った。痒みと闘っても勝ち目はない。だったらせめて、相手を理解しなくちゃいけない。そう考えているうちに、僕のなかで

「痒み」っていうのは、いったいなんのためにあるんだろう?

という疑問が湧いてきた。そしてふと、僕の小学校の同級生で、「痛み」っていう感覚(痛覚)がないひとがいたのを思い出した。そのひとが痛みを感じない範囲がどこからどこまでかはよく憶えていないけど、ともかくそのひとはある部分の「痛覚」(そしてたぶん温感や触感も)を、持っていないひとだった。

でもそれは、決してしあわせなことじゃない。それは「無敵のからだ」とはまったく違う。痛みっていうのは「危険信号」だ。なのにそれを受け取れないってことは、「身の危険に気付くのがとても遅れる」ってことだ。だから、実際そのひとはよく怪我をしていたし、ひどい場合には気付かないうちに足の骨が折れていたなんてこともあった。そう、これも確かな記憶じゃないけど、たぶんそのひとは骨粗鬆症も併発していたんだったような気がする。だから、痛みを感じないってのは、とても大変なことなんだ。そして痛みによって僕たちは、今自分のからだが「異常」か「正常」かを確かめて、必要に応じて適切な処置を取ったり、自分のからだの回復を確認したりすることができる。

けど、「痒み」っていうのはそれとは少し違う。確かに痒みも「異常事態」を知らせるものかもしれないし、それによってなんらかの対処を促すものかもしれないけど、今回みたいな痒みは特に、

今ちゃんとからだを修復してますからね〜

っていうアピールが主な役割なんだろう。だとしたらそれに対して僕は、

わかった。ありがとう。そこはあんまり刺激しないように気をつける

ってくらいしか言いようがない。もしまったく事態を把握できなかったら問題だと思うけど、逆に言うと事態を把握してしまったら、もうあとは痒みは治まってくれたっていいじゃないか?だって、そこが修復中だってことも、細胞たちが奮闘してるってことも、既に僕は把握したんだから。じゃああとは静かに見守るから、黙々と作業に集中してくれればいいのに、

ちゃんと働いてますよ!ね!ね!ね!

みたいに言われ続けても参ってしまう。

よしよし、わかったわかった

ってあやし続けるのも、ずっとは疲れるのにね。

でもこんなことを考えてるうち、最終的には、

でもなんか、そう考えるとけなげだよなぁ……。

と思えて笑えてきた。そしてそうこうしてるうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。そしてそのあとも何度か寝たり起きたりを繰り返しながら、なんとか無事に、次の日の朝を迎えた。そしてこれが実は、今朝のことなんだ。

もう2度と、僕は自分の肌の弱さを甘く見ない

自分の肌がとても弱いことは、知ってるつもりだった。でもその認識はまだまだ甘かったんだ。だからまさか、たった5時間くらいの陽射しで、露出してる肌や腕だけじゃなくて、シャツに隠れてる背中までやけどを負うなんて、思ってなかった。こんなに長時間日光を浴び続けるのが久しぶりだったこと、それにその日の天気があまりにもよかったことなんかも複合的に影響した結果だとは思うけど、僕はもう2度と、自分の肌の弱さと、日光を甘く見ない。そしてそのときは症状が出ていなくても、今度アロエかなにかを塗るときは必ず背中にも塗ろうと思う。今思えば、陽射しで熱せられた車いすに密着する背中が危ないのは自然なことだったんだ。でも、体験しなかったらそれに気付かなかった。いやもしかしたら、ずっと前にも経験してたのを忘れてるのかもしれない。まさに、

喉元過ぎれば熱さ忘れる

ってわけだ。そしてその結果、苦しい目に遭ったのは自分自身だ。だから、今度こそ同じ誤ちを繰り返さないように、ここにこの体験と決意を、書き残しておこうと思う。

そしてこれは別に肌のことに限ったことじゃなくて、今回のいちばんの教訓は、

僕はまだまだ、自分のことを知らない

ってことだ。これは正直終わりのない過程だとは思う。けどだからこそ、僕は自分自身のことを、もっとよく知っていきたいと思う。つくづく、

汝自身を知れ

っていう言葉の重みを、噛み締めながら。

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