僕がなにかを伝えたいと思うのは、まず誰よりも自分のためだ

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ノートとペンとスマートフォン

昔「24時間残念営業」ってサイトがあった。最初に読んだ文章がなんだったかは憶えてないんだけど、それからちょこちょこ読むようになった。でもそのサイトは、僕が読み始めてから数か月で急に閉鎖してしまって、そこにある文章ももう読めなくなってしまった。

「MK2」さんの文章を改めて読んで、心から共感した

でも、昨日

またこの日本で「震度7」の地震が起きた。これは日本国内の地震としては観測史上4回めで、前回のはもちろんあの東日本大震災だ。今回は、マグニチュ...

って文章を書き終わったときに、なんか急に

書くっていうのは結局私的な行為だよね

みたいなフレーズが思い出されてきて、それがあのサイトの「MK2」さんの文章だったことを思い出した。それで気になったからなんとかまた読めないかと思ってたら、

っていうサービスがあることを知った。そして検索してみたらそこに記録(魚拓)が残ってて、読みたかった文章の全文を、読むことができた。

こちら読んだ。 言及のしかたが雑なことで定評があるMK2ですおはようございます。今日は家に帰ったらうさぎが勝手に小屋から外出しており、えらいことになっていました。なぜうさぎに限らず、動物というものは脱走してるのを見つかった瞬間「しまった見つかっちゃったヨ」みたいなテヘペロ顔をするのか俺は聞いてみたくてたまりません。ち...

そしてそこに書かれていた

結局、母数のでかい話題が読まれるわけですよ。

(中略)

最大限効率よく「読まれる」ためには、扱っている話題が「だれもが知っていること」であるのが望ましい。あるいは「俺しか知らないこと」が「だれにでも関係ある」という方向性。とにかくなんらかのかたちで「みんな」にフックしないと一定以上は伸びません。

ところが「書く」ということの動機は、むしろ「みんな」とは関係ないところからやってきます。

俺には昔から「書かれた言葉は、だれにも共有されなかった言葉だ」という持論があります。言葉は、それが発せられた瞬間から共有を望むものだと思っています。そして、共有された言葉は、解脱というか頓悟というか、とにかく共有された瞬間に成仏するのです。そのタイムラグは短ければ短いほどいい。そう考えると「書く」なんてのは実に迂遠な行為です。共有されなかったことへの恨みそのものだといってもいい。

そうして「書く」という行為は、いつだって私的なものです。

まあここではあえて「書く」という言葉の意味を狭義でとらえています。「俺にとっては」くらいの狭義ですね。実際には単に「文章を書く」っつっても無限の広さがあるわけで、この「書く」は「表現する」とかに言い換えたほうがいいかもしれません。

ただ、個人のブログっていう形式で「書き続ける」っていうことなら、やっぱりその動機は「共有されなかった言葉を成仏させてやる」みたいな部分ってあるんじゃないかと思うのです。

っていう言葉には、まったく納得したし、心から共感した。

言葉っていうのは、弱者の唯一最大の武器

それと、前に

単純な好き嫌いというよりも、「どうしても気になるひと」がいるっていうこともあると思う。僕にとってそんなひとりが、「だいちゃん」だ。彼は『だい...

のなかで、僕の心に残っている別の言葉、

言いたいことがあるってことは、それだけ自分が周りから受け入れられてないってことなんだけど、それを絶望せずに言い続けられるひとだけが、言いたいことを言い続けることができるんだよ。結局それなりに現状に満足できてるひとは、言いたいことなんてそんなにないし、言わなくてもいい。それに自分が多数派なら、それは他の誰かが言ってくれるんだから、自分が言う必要もない。だから、「言葉」っていうのは、「弱者の唯一最大の武器」なんだよ。

を紹介したけど、この2つの言葉は結局、僕が『四つ這いおとな』を立ち上げて、そこに文章を書いて、そこからなにかを伝えようとしている理由の核心を代わりに言ってくれていると思う。だから結局、

「なにかを書く」っていう行為は、まず誰よりも自分のためなんだ。

「残す」だけじゃなくて、「共有」してほしい

でも、ただ「書く」というだけで満足するなら、それは日記とか、自分しか見ないところに書いておけばいい。実際それだけでも多少は「開放感」を味わえるとも思う。けど、今は多くのひとが、それを「公開」する。それはもちろん、インターネットとか、SNSとか、ブログみたいな「環境」が整ったおかげでもあるだろう。でもやっぱり、「自分だけの記録」として残しておくだけじゃ満足できないのは、それを「共有してほしい」っていう想いがあるからだと思う。少なくとも、僕自身の心のなかにその気持ちがあるのは確かだ。だって、誰にも共有されないなら、そんな言葉は結局自分に返ってくるだけなんだけど、それで満足できないから、こうして書いているんだから。

じゃあ、なんで共有されたいのかって考えたら、それはやっぱり、

自分の気持ちを理解してほしいから

なんだと思う。そして、

できれば、世界をほんの少しでも、変えてみたいから

でもあると思う。だって、今の社会や世界のなかに「変えてほしいところ」がある限り、自分のなかの「言いたいこと」はなくならない。だったら、たとえどんなに大変でも、世界を変えるしかない。そしてそれは独りではできないんだから、誰か他のひとにも共有してもらうしかない。だから、書くんだ。だから、伝えるんだ。

一説では、特に個人の小規模な「ブログ」の場合、その7割は半年以内に、そして9割は1年以内に、更新をやめてしまうらしい。

個人ブログを書いている人のアクセス数の平均ってどれだけか気になりませんか?実は、調査によると1日あたり50以上のアクセスがあるブログで上位3割のブログだという事が分かりました。実際の調査の統計データをみてみましょう!ブログを書く目的によるアクセス数の違い、ブログの更新頻度によるPV数、そして辞めてしまう理由とは?

でもそれはやっぱり、しあわせなことだと思う。だって、「書きたいことを書き尽くした」ってことでしょ?こんなこと言うと、

だって、時間もかかるし、誰にも読んでもらえないし、割に合わないんだよ。それだったらバイトでもしていたほうが、お金にもなるし……

なんて言われてしまうかもしれないけど、でもやっぱり、そうやってもっと「割のいいことができる」っていうのは、しあわせなことだと思うんだよ。だって僕には、その時給何百円のバイトすら、できないんだよ?

「自分にはこれしかない」と思ったら、それをやるしかないでしょ?

そりゃあ僕だって、バイトしたり、なにか他のことで働いたり、そういうもっと「割のいい」ことができるんだったら、それをやっていたかもしれない。でも、そんなことは僕にはできない。それに僕の場合、指もうまくは動かないから、こういう文章だって、人差し指1本だけで書いて(打って)いる。もちろんこれはすごく時間がかかる。この圧倒的な「非効率さ」は、もう疑いようもない。しかも、一応このサイトにも広告入れたり、

もしこの『四つ這いおとな』をおもしろいと感じてくれたひとがいましたら、僕のメールアドレスmailme@yotubaiotona.net ...

なんてページを用意してみたりしてるけど、少なくとも現段階では、ほとんど「結果」につながっていない。経済的な意味では、まったく割に合っていない。これならまだ、アンケートモニターでもしていたほうがましだ。

前回、って書いたように、僕のような「障碍者」にとって「自分に必要なお金をちゃんと稼ぎ出す」っていうのはそうそう簡単なことじゃないんだ...

でも、だからって僕は、これをやめようとは思わない。だって、やめられないんだから。たとえもしいつかなんかの事情で『四つ這いおとな』を続けられなくなったとしても、僕がどこかに存在している限り、なんらかの別のかたちでも、この「想い」を伝えようとすると思う。だって、それが僕の生きている証なんだから。そして僕はずっと、

僕が死ぬときに見える世界が、僕の生まれる前よりも少しでも穏やかになっていてほしい

と願っている。でもそれはたぶんまだ先のことで、実際僕はまだここに生きている。だから僕は今日も明日も、なにかを伝えながら、生き抜いていきたいと思う。

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