おじいちゃんおばあちゃんにだって、もっといい車いすに乗ってほしい

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おばあちゃんの誕生日

みんな、「長く遣うもの」とか「身の回りのもの」には自然と愛着を持つと思う。もっと単純に言えば、「帽子」とか「服」、それに「部屋の雰囲気」とか「家具」とかも、「自分を表現するもの」だと思えば真剣に選ぶし、特に気に入ったら何年だって同じものを遣い続けることだってあるだろう。

そういう意味で、僕にとっての「車いす」っていうのも、移動や外出のときの大切な「相棒」であると同時に、「自分のからだの一部」でもあるし、「服」みたいなものだとも言える。それは「自分を表現する」ものでもある。だからもちろん、そこには「愛着」も生まれる。そしてそれは、多かれ少なかれ他の車いす乗りたちとも共通することだと思う。

でも、これが僕たちみたいに「ちいさい頃から車いすと一緒に生きてきたひとたち」じゃないひと、特におじいちゃんおばあちゃんの場合は、かなり話が変わってきてしまう。だってそんなおじいちゃんおばあちゃんたちの車いすって、だいたい見た目もおんなじだし、「必要最低限」のものしか付いてないし、乗り心地だってよさそうには全然見えない。

でもこれって

同じ「車いす乗り」の僕に言わせると、あまりにももったいないこと

なんだよね。だから僕はいつも、おじいちゃんおばあちゃんにだって、もっといい車いすに乗ってほしいと思ってるんだよね。

「10年近く着替えられない服」を選ぶってなったら、誰でも慎重になるでしょ?

まず基本的な前提として、身長やからだの状態が変わりやすいこどもの頃を例外として、僕のようなおとながいちど車いすを新調すると、そのあと最低でも5年くらいは同じ車いすに乗り続けることになる。もちろん、全額自費で負担するならどれだけ頻繁に買い換えてもいいんだけど、1台あたりなんだかんだでだいたい「20万円」くらいするのを全部自費で払うのはキツすぎる。だからそのうちの9割くらいは国が補助してくれるんだけど、そのときの申請を受け付けてくれる基準が、「買い換えてから5年以上は乗りましたよね?」ってところなんだ。

それに、いくら自己負担が1割で済むとはいえ、それでも「2万円以上」はするものを、そう頻繁に買い換えるのは経済的に厳しいから、実際は、

いちど買ったら10年は乗りたい

って思うのが自然な流れだと思う。

となると、車いすってのは「いつも自分にくっついて来る」という意味で、「10年近く着替えられない服」みたいなものだと言っても全然言いすぎじゃない。それにもちろん、車いすは単なる「装飾品」(ファッション)でもない。「機能」もよく吟味する必要がある「実用品」でもある。そう考えたら、僕でも誰でも、選ぶのは慎重になるのがなったほうがいいって思わない?

僕たちこどもには、「うるさいおとな」っていう強力な味方がいた

でも、僕が初めて車いすに乗ることになったときがそうであったように、こどもたちは自力では「自分に合った車いす」を選ぶことなんてできない。かといって、なんでもかんでも車いす業者に丸投げしてしまったら、全部「初期設定」のままの、「どこにでもある車いす」が出てくるだけだ。だけど、ここで僕たちこどもには、「うるさいおとな」っていう強力な味方がいた。それは単純に親とか家族だと思ってもいいけど、そんな周りのおとなたちが、僕たちの代わりに、

なんとか少しでも乗り心地のいい車いすになりませんか?

みたいに業者さんから情報を引き出してくれたり、

色はここのページにあるのから選べるんだって!

みたいに僕の好みの色を選ばせてくれたりして、僕が「最高の相棒」を見つけて、育てることができるように、いろいろと手助けをしてくれた。そのおかげで、僕はより体の状態に合った、そして愛着も持てる車いすを、選ぶことができたんだ。

だけど、おじいちゃんおばあちゃんにはそんな「うるさい味方」がほとんどいないのかもしれない。しかも本人も周りの家族も、

ついに車いすに乗らなきゃいけなくなっちゃった……

みたいな落胆(哀しみ)が先立ってしまったり、

いつまでも車いすに乗らなくてもいいように、また歩けるようになれたらいいね!

みたいな可能性のほうだけを見て、縋り付いてしまったりして、

どうせ乗らなきゃいけないんだったら、少しでもいい車いすを選ぼうよ!

なんて方向には、なかなか気持ちが向かないのかもしれない。しかもこれは、「先天性障碍」と「中途障碍」の間の根深い溝の問題にもなるし、結局は「本人の気持ち次第」ってことになる問題だから、なかなか簡単には割り切れないかもしれない。それに僕の年齢の障碍者に対する制度と、おじいちゃんおばあちゃんに対する制度には、まだ僕の知らない細かな違いもあるかもしれないし、そういうのをいちいち調べるのには手間だってかかるだろう。

でもそれでも僕は、「うるさいおとな」として、おじいちゃんにもおばあちゃんにも、もっといい車いすに乗ってほしいと思ってる。だってそれは、なにより本人のためになるからだ。そしてそれを「選べる」(選んでもいい)ということすら知らないんだったら、それは早く解決した方がいいことだと強く思ってるんだ。

クッション、泥よけ、タイヤの角度……。ちょっとした工夫をしてみるだけでも、車いすはかなり快適になる

実例として僕の話をしよう。まず僕の車いすには、「背中」と「お尻」の2箇所に「クッション」が装備されている。これは長時間同じ姿勢で椅子に座り続けることになる体の負担を軽減するためには欠かせない装備だ。それにタイヤの部分には「泥よけ」と「ホイールカバー」が取り付けられていて、こぐときの手の巻き込みや汚れなんかを防止・軽減してくれる大事なはたらきをしてくれている。さらには、タイヤ(ホイール)には「2°の角度」が付いていて、この傾斜が自分でこぐときの力の入りかたをよくしてくれる。でももちろん、僕は長時間になればなるほど誰かに押してもらうことが多くなるから、「押し手の長さ」なんかも長めにして、押すひとが腰を屈めなくても自然に車いすを押せるように設計されている。それに、腰や足の部分には「シートベルト」が付いていて、突然意に反してからだの力(緊張)が入っても、その影響を抑えられるように準備されてもいる。

そして大切なことは、こういう

自分に最低限必要と認められる装備についても、9割補助の対象になる

ってことだ。だから、どうせ長く遣うことになるんだったら、少しでも快適なものにしてもらったほうが、結果的にいちばん自分のためにもなるってことだ。

実際、「車いす選び」ってかなり「クルマ選び」に似ている

僕は運転できないし、クルマに深い愛着を持ってるわけでもない。でも実際、「車いす選び」ってかなり「クルマ選び」に似ているところがある気がする。それは、

単に「移動手段」っていうだけじゃなく、こだわるひとは「趣味」として、とことんこだわる

ってところがあるからだ。そしてその「カスタマイズ」の世界は、実際なかなか奥深い。そういう「趣味」とか「高度な機能」と見なされるようなものは、たとえ車いすでも「全額自己負担」になるんだけど、それでも車いす乗りのなかには、「自分だけの車いす」を求めて、様々な「オプション」や「改造」を施そうとするひともいる。僕ももし、いずれもっと安く導入できるようになったなら、「低衝撃タイヤ」ってのを付けてみたいとも思う。それにドバイとかサウジアラビアなんかだと、お金持ちに向けた「金箔を散りばめた車いす」なんかも、実際に販売されているらしいって話を耳にしたことがある。そんなのはまったく僕の趣味じゃないけど、なんかこう「自分だけの最高の車いす」を求めたいっていう姿勢だけは、多少なりとも共感できるとは思う。

だから僕は、おじいちゃんおばあちゃんにも、もっと「自分らしい車いす」に乗ってほしいと思うんだ。暗い気持ちが服で明るくなれるように、いい車いすはきっと、心を少しでも華やかにしてくれると思うから。それに少なくとも僕はおじいちゃんになっても、

次の10年はどの色の車いすに乗ろうかねぇ……?

なんてずっと悩むと思うし、実際死ぬまでそうありたいと、思ってるからね。

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