『最強のふたり』。僕の大好きな、究極の「バリアフリー映画」

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僕の大好きな映画に『最強のふたり』って作品がある。これは2011年のフランス映画で、原題は”Intouchables”(英語圏だと”Untouchable”)っていうんだけど、この作品はフランスで11月に公開されてから、週間観客動員数で10週連続の第1位になり、ついにはその年のフランスで公開された映画全体のなかでの観客動員数ランキングも1位になるって記録を打ち立てたんたんだ。あの『ハリー・ポッターシリーズ』の完結編、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2』 よりも上だったんだよ。

そしてこの勢いのまま、この作品は日本でも上映されることになって、2012年9月に映画館での公開が始まると、日本で公開されたフランス語映画のなかでの興行記録を塗り替えるほどのヒット作になったんだよ。

でもこの映画、『最強のふたり』っていうタイトルを聞いただけだとなんだか「ヒーロー映画」か「スパイアクション映画」みたいじゃない?でもこれは実際、僕にとっては切っても切れないくらい身近なテーマの映画だったんだ。だってこれは、

究極の『バリアフリー映画』なんだから。

「感動の作り話」じゃない、実話に基づいた脚本

この作品は一応「ドキュメンタリー」とかじゃない「コメディ映画」ということになってるけど、その脚本や登場人物には「原作」(モデル)がある。だからこれは、「感動の作り話」っていうのとは違う、「実話に基づいた作品」なんだよね。もちろん、「作品」である以上は誇張されたりうまくまとめられたりしている部分もあるんだけど、それでも、

こんな「いい話」が、実際にあったんだ!

っていう嬉しい驚きは、僕を確かに、励ましてくれた。

結局、自分の「内面」を見てくれて、受け入れてくれるひとをみんな求めている

この作品は、主人公のひとり、大富豪のフィリップが、新しい介護員を雇おうとするところから始まる。彼は「大富豪」なんだから、当然待遇もいい。だから、応募者はたくさん来るんだけど、言ってくることはみんな同じ。そして今までのひともみんな、長くは続かなかった。そんなところに現れたのがもうひとりの主人公のドリス。彼は他のひととは違い、「いい格好」をしようとすることもなく、自分の気持ちを率直に答えていた。終いには、

不合格でもいいから、「やる気はあって、面接に来たけど不合格にした」っていう証明にサインして欲しい。そうすれば、失業給付がまたもらえるから

なんてことも、隠しもせず素直に伝えてくるぐらいだ。そもそも、介護員の経験も、それに関連する資格も、ドリスは持ってない。それに、格式の高い暮らしをしているフィリップと違い、ドリスにはマナーもないし、音楽の趣味だってまったく違う。だからドリスは最初から、自分がほんとにここで雇ってもらえるなんて、期待してなかったんだ。

でもフィリップは、彼を雇ってみることにした。そしてその日からドリスは住み込みで、彼と生活をともにすることになる。そしてそのなかで、フィリップとドリスの関係は、いつしか「最強のふたり」と呼ぶにふさわしいものへと、深まっていくんだ。

じゃあなんでそんなことができたんだろう?それはやっぱり、このふたりがお互いの「外見」や「条件」じゃなく、「内面」を見て、受け止めることができたからだと思う。そしてその度に、ふたりは「大富豪」だとか「荒くれ者」みたいな「外見」(レッテル)から、自由になっていく。それはふたりの間の「障碍」が、ひとつひとつ外れていく過程でもある。これ以上詳しいストーリーや結末は、実際に作品を観てみて欲しいんだけど、僕がこの作品を、

究極の『バリアフリー映画』

と言ったのは、そういう意味でもあるんだ。

僕もこういう「関係」を、たくさん作りたい

そしてやっぱり、僕もこういう「関係」をたくさん作りたいと思う。それは単純に、そのほうが生きやすいからだし、そのほうが楽しいからだ。もちろん、いろんな制度や現状も含めて、その「理想」をすべて実現するのにはまだまだ時間もかかると思う。でも、絶対にできないとは思わない。それにその実例は、この映画と彼らの生き様のなかにある。だから僕はこの作品に励まされたし、もしよかったらあなたにも、いちど観てみてほしいと思う。それにこの作品の「原作」は日本語にも訳されているから、映画が気に入ったらそれも、読んでみてほしいな。

コメント

  1. ネコ より:

    質問~。

    オレも以前、この映画観たんだけどね、ちょっとよく分からない部分があってさ。

    大富豪が、黒人青年以外の介護の男性には、かなり冷たい態度で接してるじゃん?

    あれって、どうして、ああいう描写になったんだろうか。

    黒人青年のミスに対してはとても大らかに対応するのに、

    それ以外の歴代のお手伝いに対しては、ずいぶんと短気で、神経質に接してるよね。

    あの違いが、オレはどうもピンとこなかったんだけど。

    名誉顧問は、そのへん、どう感じてますか?

    • ネコさん、こんばんは。

      僕の印象としては、まずフィリップは大富豪で、権力もありますから、そこに取り入ろうと群がってくるひとたちの「ゴマすり」や「思惑」が透けて見えすぎてイヤだったんだと思います。しかも、介助者のほうもすぐ音を上げてやめちゃってたわけですし、あんまり期待しすぎて裏切られるのが苦しくて、それくらいならと冷たく当たって相手を試しつつ、自分を護ってたのかもしれないと思います。

      だから最初からドリスだけを特別扱いしてたというよりは、

      なんだこいつ、なんかおもしろいな。でもどうせすぐ、やめちゃうだろうけどね〜

      なんて思ってたのが、だんだんと信頼が深まっていった結果が、あのおおらかさに表れているんだと思います。

      つまり、フィリップは誰に対しても「短気で神経質」なのが通常で、ドリスが彼の「特別な部分」を引き出していったってことですね。

      これはもしかしたらフィリップの苦悩をより前面に押し出して描いた原作本、『A Second Wind』を読んでみたらよりわかっていただけるかもしれません。

      • ネコ より:

        そっか~。なるほど。

        他の介助者をもっと露骨に「媚びを売っている」感じで悪く描いてくれれば、納得だったんだけど、みんなそんなに悪人とかゲスには見えなかったから、どうして富豪はあんなに冷たく当たるんだろう?って思っちゃったよ。

        途中で黒人青年のかわりに雇った人に対しては、初日?か数日しか相手してないのに、メチャメチャきつく当たってたから、え?いきなりその態度?って不思議だった。

        結局、誰に対しても短気で神経質だって事なんだね。

        オレの脳みそだと

        介助者が「嫌われるほど媚びを売る」っていうのもイメージできなかったし

        介助される側が「嫌がらせを受けてる訳でもないのに相手にきつく当たる」っていうのもイメージできなかった。

        人間って難しいなぁ~。特にフランス人は分かりづらそう(笑)

        • あんまり露骨すぎる媚びには意味ないですから。

          あくまで「取り入る」ためだとすればですけどね。

          面接とかではみんな、いいこと言ってますよね〜。

          あと途中で雇われたひとに関しては、比べる対象がドリスになっちゃってたので至らなさが目立つという、損な役回り(タイミング)でしたね。

          まぁ結局フィリップは気難しいってことなんですが、あのようなからだで生き続けてると、なんだか「いつも世界から嫌がらせを受けてる」ような感覚になることもあるんですよね。そしてそれを、周りに八つ当たりしてると思えば、少しはイメージできるかもです。

          でも最終的にはドリスとに出会えて、フィリップも少しは、丸くなったんじゃないですかね。

  2. 小夜子 より:

    こんにちは。
    先日(といってもかなり前だけど)BSプレミアムシネマで放映されたのを観ました。
    改めて四つ這いおとなさんの記事で、原題が(英語版)”Untouchable”だと聞いて、すごく腑に落ちました。
    とことん「バリアフリー」というか「タブー破り」な、すごく痛快な映画でした。

    以下、感想やネコさんとのやりとりを読んで感じたことを書きますが、少しネタバレあるかもしれません。

    フィリップには、「タブー」がたくさんあって、誰もそれに触れようとしなかった。
    でも、ドリスはそんなフィリップに遠慮せず、正直に生身で相対してきた。
    ストッキング穿かせたり下の世話したりなんて嫌だ、とフィリップ本人の前で大声で言ってましたね。フィリップ本人だって、そんなことされるのはずっと嫌だったんだと思います。する方もされる方も嫌なのに、お互い「嫌だ」と言えなくて、正直な気持ちを綺麗事で隠して今までの介助者とフィリップは接してきたんだと思います。
    下ネタや恋愛話にしたってそう、すごく重要なことなのに、みんな敢えて避けてきたと思います(そもそも上流社会ではマナーに反することだろうし)。
    娘のことだってずっとそばにいた人でも誰も言えなかった(フィリップ自身さえ)。
    動けないフィリップの前で楽しく踊るなんてこと、論外だったと思います。
    フィリップも周りの人も、本心隠して接し合っていた(バリアをつくりあっていた)のに、ドリスにはそんな(上品な)壁は関係なくて、次々にぶち壊してくる。
    そんなドリス自身の「壁」をフィリップが知った時、すごく優しかったですよね。

    登場時のフィリップって、すごく気難しそうな顔してましたよね。それがドリスと接しているうちに、どんどん笑顔になってゆく。ドリス自身がフィリップの前ですごく笑います。
    他の介助者や介助者志望の人たちって、緊張した真面目な顔してて、フィリップはそれも気に入らないのかなと感じます。ただでさえ介助されるのって愉快じゃないのに、暗い顔して介助されたら余計にね…。

    フィリップくらいお金持ちだと、あからさまに差別されるってことは少なくて、むしろ「貴方を差別なんてしてませんよ。貴方が障碍者だからって低く見てませんよ。私は障碍者差別なんかしませんよ」と言外にアピールしてこられる方が多かったように思います。それはそれで癪に障ると思うし、差別意識の裏返しですよね。
    ドリスは、フィリップを「障害者だ」とはっきり言ってた。「動けない」フィリップを笑いさえした。(ナチスネタなんか本当にギリギリで、さすがフランス映画と思いました。とことんタブー破りですよね)。
    ありのままのフィリップと相対し、卑下したり美化したりせず、もちろん腫物に触るように扱うことも無視したり蔑んだりすることもなく、目の前に生きてるひとりの人間同士、まっすぐにそのまま受け止め合うことを自然にしていた。
    そんな「型破り」なドリスに対して、フィリップもまた型にはめられない本来の自分を出せるようになったんじゃないかな。

    社会的成功者だったフィリップは、もともと「できる人」で自分と他人に厳しかったんだと思います。
    そんな彼が動けなくなって自分の身の回りのこと何もかも他人の世話にならなきゃいけなくなった苛立ちは計り知れません。自分で主体的にできることと言ったら介助者につらく当たることくらいで、「コイツは何日で辞める」と自分と賭けをするくらいしか「楽しみ」がなかったように感じました。
    ドリスはそんな彼の「自分の人生こんなもの」という思いを打ち破り、彼の「世界」に全く違う生き生きとした風を吹き込んだ。

    フィリップもまた、ドリスが前科者だと知らされても、彼にとってそんなことはどうでもよかった。もしまだ彼が「健常者」だったら即クビにしたかもしれないけど。彼が見ているのは自分と接しているドリスの偽りない姿。
    芸術を愛し、長年寝たきりで数えきれないほどの介助者を「見て」きたフィリップには、人(内面)を見抜く目が養われていたのでしょう。

    映画としても単純にとても楽しく、いい時間を過ごさせてもらいました。
    四つ這いおとなさん、紹介してくださりありがとう。
    モデルとなった原作も読んでみたいです。

    • 小夜子さん、こんにちは。

      僕はこの作品を今までにもう3回くらい観ているのですが、その度に新たな「味わい」を感じる、いい映画だと思います。

      小夜子さんのご感想からも改めていろいろなことを感じましたが、とにかくドリスってよく笑うんですよね。ただ一般的にこの「笑い」っていうのは、特に笑われる(見られる)ほうにとっては「痛み」を伴うものではあるんですけど、ドリスの場合そこに「いじわるさ」がないというか、一見「バカにしてる」ように見えてもそれは「笑い飛ばす」ためのもので、そこに「敵意」(蔑み・哀れみ……)のようなものが底流してないことが、フィリップにとってなによりの力になったんじゃないかと、そう思います。

      それにドリスはなんだかんだ言いながらも、明らかにフィリップのお世話の技術を向上させてますし。最終的には

      「フィリップに寄り添おう」

      っていう気持ちが、たとえ無自覚なものであったとしても、すごく見えるんですよね。

      そしてもちろん、そんなドリスとの関係のなかで、あれほど気難し屋で他者を寄せ付けたがらないフィリップも、ドリスに寄り添っていく。

      こういうのを見ていると、単純に僕もすごく、しあわせな気持ちになれるんです。だから僕はこの作品が、とても好きです。

      よろしかったらぜひ、原作も読んでみてください。あれはまた違った視点から、「生の」フィリップやドリスに想いを巡らせられる本だと思います。

      それに僕も近々また、この映画を観てみようと思います。

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