「乙武洋匡」という仮面を被らないといけない彼から一方的にもらったサインは、もうどこかに消えてなくなった

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必死の虚勢

僕たちはみんな「本音」と「建前」を使い分けながら生きていると言われる。そしてこないだショーンKのことを書いたときにも思ったことだけど、「芸能人」とか「有名人」と呼ばれるような、「みんなの注目を浴びる(浴びたい)ひと」ほどその傾向が強いのかもしれないとも思う。だって、それだけ強烈な「キャラクター」(設定)を演じなきゃいけないからだ。

もうみんなが話題にしている「ショーンK」のことだけど、僕も僕なりに改めて考えてみたい。そのためにまず、このまとめを見てみる。経営コン...

そしてその「キャラクター」(設定)は周りのひとたちがそのひとに持つ「イメージ」に大きく影響する。でもそれと同じくらい、それは「自分自身」にも跳ね返ってくるだろう。そしてその「ギャップ」が大きいほど、それは自分を追い詰め、苦しめることになるんだろう。それは、ある意味すごくかわいそうなことだと思う。そう、「ショーンK」がそうであるように、そして「乙武洋匡」が、そうであるように。

僕は「乙武洋匡」に、いつも苦しめられていた

「乙武洋匡」の存在を一躍世に知らしめる大きなきっかけになったのは、やっぱり1998年に出版された『五体不満足』だろう。このわかりやすくも大胆なタイトル電動車いすで横断歩道を颯爽と渡る彼の写真、それに帯を彩る

障害は不便です。だけど、不幸ではありません

感動は求めません。参考にしてほしいのです

の言葉と「早大生」の肩書きの「合わせ技」は、今見ても、

やっぱ巧いよね〜

って言うしかない。実際、彼の本はすごく売れたし、社会にも少なからず影響を与えた。あれから20年近く経った今ですら、小学校とかの「推薦図書」に選ばれたり、「読書感想文」が書かれたりしてるって話もあるくらいだ。そしてもちろんその「影響」は、僕にも無縁じゃなかった。それは親や親戚なんかが、

こんな「手足のない」ひとですらこんなにがんばってるんだから、あんたも見習ってがんばりなさい!

なんて言ってくることに端的に表れていた。そして、後になってわかることだけど、これは特に僕に近い世代の障碍者には、多かれ少なかれ共通した体験だった。もちろん、それを見て素直に、

うん、がんばるよ!

なんて思えるひともいたと思う。そしてそれはしあわせなことだとも思う。でも僕はそれを「窮屈」だと感じてしまっていた。僕は別に「努力」を無意味だとは思わない。その当時の僕が置かれていた「手術」や終わりのない「訓練」の影響もあって、

がんばったってどうしようもないことはあるんだから、なんでもかんでも自力のがんばりでなんとかしろっていうのは言い過ぎじゃないか?そもそも、自分はがんばってないってことなのか?

って感じてしまってたのは事実だった。ただそれが『五体不満足』を書いた乙武洋匡の意図ではないとしても、その想いが自分のなかに芽生えて消えなかった以上、僕はずっと「彼」から、心理的に距離を置いていた。またそれは、「27時間テレビ」とかに僕が感じる「抵抗感」とも似ていた。そして僕は確かに、それに苦しめられていた。

そんな僕に訪れた、千載一遇のチャンス

それから何年も経って、僕は大学生になっていた。するとそんな僕に、思ってもみないことが起きた。大学に、「乙武洋匡」が講演をしに来るっていうんだ。ただ僕は正直、参加をためらっていた。

だって参加人数は限られているし、僕はそんなに彼のことが好きなわけでもない。だったら、他のひとに席を譲ったほうがいいんじゃないか?

って思っていたんだ。でもそんな僕のところに突然、大学の事務から連絡があった。そして、こんな話をされたんだ。

あのさ、今度乙武洋匡さんがうちの大学に講演をしに来てくださるのは知ってるよね?そこで乙武さんとも話し合った結果決まったことなんだけど、うちはまだまだ障碍者への設備も整ってないし、受け入れ実績も少ない。だからそんななかでがんばっているあなたがた数人の障碍学生を励ます意味も込めて、本講演が終わった後に1時間くらいの「懇親会」をやることになったんだ。だからぜひ、君も参加してよ!

これには僕も心底驚いた。そしてこう思った。

どうせ、講演の内容なんてたかが知れている。ちいさい頃からずっと言われてきたようなことをまた言われるだけなんだろう。でもしょうがない、それが彼の「仕事」なんだから。だけどもしかしたら、そのあとの「懇親会」でなら、彼の「素」が見られるかもしれない。そして、僕の「誤解」も解けるのかもしれない。こんなチャンスは、絶対逃したくない

だから僕は、彼の講演会に、参加してみることにしたんだ。

「チャレンジ精神を忘れずに」が、彼の講演のテーマだった

そしてついに、その日はやってきた。僕は入場前にもういちど、

今日の懇親会は、予定通りあるんですよね?

と事務に訊いた。

もちろん!だから講演が終わっても席に残っているように。そこからまた流れを説明するから

と笑って言う彼を、疑えるはずもなかった。そして、「乙武洋匡」の講演が始まった。

でも正直その内容は、ほとんど憶えていない。ただその演題は確か、「チャレンジ精神を忘れずに」だったと思う。あとはっきり思い出せることと言えば、器用にペットボトルからストローで水を飲む姿を見て、拍手が起こったことくらいだ。もちろん「努力」がどうのとか「チャレンジ精神」がどうのなんてことを、いろいろと語っていたけれど、そんなものは最初から期待していなかった。だから僕は質疑応答の時間にもなんの発言もしなかった。だって、それはいくらでも、懇親会で訊けばいい。だから僕は、彼が、

ではまた!

と言って颯爽と会場を去っていくのを見て、密かにテンションが上がっているのを感じていた。なんたって、「本番はこれから」なんだから。

あまりにもあっけない、衝撃の宣告

でも、そんな僕の「期待」はあまりにもあっけなく、完全に打ち砕かれた。講演が終わって、予定通りやってきたはずの事務員の顔が、ひどく沈んでいた。そして彼は、僕にポツリとこう言った。

……あのね、このあとの懇親会、中止になったから。ごめんね

僕は当然、

……は?冗談でしょう?なんでそんなことになるんですか?

と訊き返した。でもその後のやりとりは、そう長くもなかった。

なんか彼、ここまでの移動やらなんやらの疲れで体調を崩したらしくてね。だからこれ以上の無理はできないってことみたいで……

だってさっきまで、そこでニコニコしてたじゃないですか!

それは「仕事」に対する責任感からで、それ以上はほんとにキツイらしいんだよ。ごめん、僕もついさっき聞いたばかりなんだ。でもこれはもう、決まったことだから……。

僕はこれ以上ないほどに愕然とした。なにを言っているんだか、あんまり意味もわからなかった。

「仕事」はするけど、「ボランティア」はしないって言うのか?そんなに具合が悪いなんて、講演では一切見せなかったくせに。だいたい、なんで本人じゃなく、事務員に説明させるんだ?これを楽しみにしていたひとのことなんて、どうでもいいっていうのか?「チャレンジ精神」はどこに行ったんだよ?

百歩譲って僕のことはいい。もともとたいしたファンでもないんだから。でもその懇親会に出る予定だった他の学生は、この日のために質問をいろいろと考えてきていたり、「憧れの乙武さん」になにを言おうかずっと悩みながら、楽しみにしていたひとだっていたんだ。それをこんなにギリギリで「ドタキャン」して、それで「チャレンジ精神」だなんて、ブラックジョークにもほどがあるんじゃないのか?

もちろん、この言い分は「僕の立場」から言ってるものだ。でもしかたがないじゃない?だって本人は「なにも言わずに去ってしまった」んだから。だから僕に与えられた「印象」だけがすべてだ。このことは彼と僕との間の距離を、さらに拡げただけだった。まぁ、僕にどう思われようと彼には関係ないし、意にも介さないだろう。だってこれは彼は「芸能人」なんだし、これは単なる彼の「仕事」だったんだから。

ただ最後にもうひとつ、「どんでん返し」が待っていた

そして僕がどうしようもないやるせなさと虚脱感のなかで、帰宅しようと大学の玄関を出ようとしていたとき、また事務室から電話がかかってきた。

まだ帰ってなかった?今帰るとこ?あぁよかった。ねぇ、もう1回事務室に来てくれない?「いいもの」があるからさ!

さっきの落ち込みぶりがウソのように上機嫌な声に、僕のなかにも密かに期待が生まれてきた。

これはやっぱり懇親会やるってことか?そうだよなぁ、あの終わりかたじゃあんまりだもん。よし今度こそ、気持ち切り替えて彼の「素顔」を見てみよう!

そんな感じで意気揚々と事務室に入った僕に渡されたのは、「乙武洋匡の直筆サイン」だった。でもそのときにはもう、彼の姿はどこにもなかった。彼は「お詫びの印」としてこれを書いたあと、そのままホテルに向かってしまったということだった。そして僕は家に帰り、そのサインをどこかにおいて休んだ。でも何か月かするうちに、気付くとその色紙はどこかに行ってしまい、もう2度と見つからなかった。

やっぱり彼は「乙武洋匡」という仮面を被った「芸能人」(プロ障碍者)なんだと思う

この出来事が僕に残した「印象」はやっぱり彼は「芸能人」なんだということだ。だから彼の「素顔」なんてものは絶対に僕たちに見せることはないし、体調が悪いとか、心が折れそうだとか、そんなことなんて口が裂けても言わない。だって、そんなことを言うのは「乙武洋匡」じゃないからだ。そしてその「キャラクター」(設定)を作ったのは彼自身なんだ。そしてそれはもはや、彼の「仕事」でもある。

でも、そんな彼を見て、彼の生き様を一瞬でも間近で見て、僕はとても「かわいそう」だと思う。僕は一時期彼に強い「嫌悪感」に近いものを持っていたんだけど、今ではそれ以上に「かわいそう」だと思う。もちろん、これは彼の「からだの状態」とは無関係なことだ。

この体験はもう何年も前のことだけど、それから今までの間に、彼を巡る出来事はたくさんあった。たとえば「レストラン入店拒否騒動」やら、「ツイッター自作自演疑惑」なんかがそうだ。そしてそれは、「乙武洋匡」というイメージを多少は変えたかもしれない。でもそれは、ネットの世界をある程度見ている、限られた層のひとたちの間だけのことだとも思う。結局彼は、自分で作り上げてしまった「乙武洋匡」というイメージを塗り替えることはできずにいる。そして世間は、そんな彼を求め続ける。だから「乙武洋匡」の活躍の場がなくなることはないし、もし選挙に出るのなら、きっと彼は当選するんだろう。

でも、僕はもう彼に一切期待していない。だって彼は僕の「代弁者」ではないからだ。それにもしかしたら、「乙武洋匡」というイメージは、もはや「彼自身」の代弁者ですらないのかもしれない。でもそれを少しでもうかがい知る機会はもう僕には2度とないだろう。そして僕がいくら彼のことを「かわいそう」だと思っていても、そんなことは「乙武洋匡」にはまったく関係ないことだ。そして彼が自分の人生を「しあわせ」だとほんとに思えているのかどうかも、僕が心配するようなことじゃない。

だって彼は、今までもそしてこれからも、生粋の「芸能人」(プロ障碍者)なんだから。

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