あなたが「死んだほうがまし」と思うような状況でも、生きているひとはいる

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暗中模索

世界には、年間100万人くらいの自殺者がいるらしい。日本でも「公式には」3万人くらいの自殺者がいることになっているけど、WHO(世界保健機関)的には変死者の半数を自殺者としてカウントする方式があるようだから、それを踏まえると3万人どころか10万人くらいが自殺でいのちを絶っているんじゃないか?って考えるひともいる。

でも、たとえそれが3万人だろうと100万人だろうと、あるいはたった1人だけだったとしても、「せっかく生まれてきたのに、自殺を選んでしまうような状況がある」というのは、やっぱりどこかが狂っているんだと思う。

自殺は自殺だよ。だって「自分を殺している」んだから

もちろん、自分が今しあわせで、満ち足りてると思うひとは自殺なんてしない。そして、誰でも知ってるように人生は「思いも寄らない、自分の力だけではどうしようもないこと」がよく起きる。そしてそれは、簡単に状況を一変させ、僕たちを追い詰めていく。それに、もともと僕たちが今生きているこの社会は、あまりにも多くの問題と、どうしようもないように思えるほどの病みがある。こういった意味で、

誰も死にたくて死んでるわけじゃない!

っていうのにも確かに一理あるとは思う。でもさ、だからって、

自殺じゃない!「自死」なんだ!

「自殺の権利」を認めてよ!これは「尊厳死」なんだよ!

なんて意見を耳にすると、やっぱり違和感がある。

自殺は殺人とは違う!

って?いやいや、自分のからだを「殺してる」じゃない。「最期まで生きようとしているからだを、一方的に」だよ。まったく殺人と同じように、「相手の意志を無視してる」でしょ。

自分のものをどうしようと自分の勝手だ!

って?そもそも、自分の意志でなんでも動かしてると思ってるの?自分で眠って、自分で起きて、自分で爪伸ばして、自分で消化して、自分で傷口を治してるの?自分のからだの仕組みを、隅から隅まで理解してるの?そんなの「自分のもの」なんて言えないじゃない。だからやっぱり、自殺は自殺なんだよ。美しいものでも散り際を悟った潔いものでもない、

生きものとして最低限の義務を放棄する、反則だ

としか思えない。

結局それって、「死んだほうがまし」って思ってるってことでしょ?

じゃあなんで「自分のからだと闘ってまで死ぬ」かって言うと、結局それって、

こんな人生なら、死んだほうがましだ!

って思ってるってことでしょ?そして実際にそれを実行するから、自殺を選ぶことになる。でもそれって、ほんとにそうなの?死んだらどうなるかなんて、なにもわかってないのに?

だからさ、自殺するひとっていうのは、実際、「『死んだほうがまし』だっていうほうに、賭けてる」ってことでしょ?そしてその賭けのチップは、「2度と取り返しのつかない人生」と「自分のいのち」そのものだ。しかも自殺って、相当苦しいよね?そりゃそうだよ、「殺人」と同じなんだから、痛いし、苦しいし、場合によっちゃ、「死に切れないで後遺症だけ残る」なんていう可能性もある。そんな可能性も全部天秤に載せたうえで、それでも「死んだほうがまし」ってほうに賭けるなんて、ほんとに割に合ってると思う?

僕ってやっぱり「死んだほうがまし」に見える?

でね、よくネットとか、あるいは酔いが回ったひととかが、

障碍者になんてなるくらいなら死んだほうがましだよ!

寝たきりのヤツとか生きててなにが楽しいのかねぇ?俺だったら自殺するかもしんないな

障碍者が自分は不幸じゃないなんて言うのは自分の存在を否定しないための強がりだよ。認めたらやってらんないんだろうけど、不幸に決まってんじゃん

なんて言ってんのを目にしたり耳にしたりすることがある。道ですれ違っただけのひとに、いきなり、

気を落とすなよ!

なんて言われたことも1回や2回じゃない。これってやっぱ、「僕も死んだほうがましな状態に見える」ってことなの?まぁ、もっとはっきり、

よく生きてるよなぁ!偉いよ!

なんて言われたこともあるから、たぶんそういうことなんだろう。でも、それってめちゃくちゃな決め付けだと思わない?そりゃさ、「自分を否定しないための強がり」って部分がまったくないとは言わないよ?でも逆に言えばさ、

自分で自分を否定して、ましてや自殺するくらいだったら、強がってたほうが数万倍ましなんじゃないの?

実際、こんな人生も「悪くはない」よ?

正直僕も最初からこう思えていたわけじゃない。特にちいさい頃とか、中高生の頃とかは、自分の人生に悩んで、不満だっていっぱいあった。それにそれは、今だって完全に無くなったわけじゃない。でもね、生まれて、このからだと20年以上付き合ってきた今なら、僕も

こんな人生も、悪くはないよ?

ってぐらいは言えるようになったし、これは特に強がりじゃないと思ってる。だからって、「このからだで生きてみたら?」とまでは言わないけどね。確かに「難易度は高い」んだよ。だけど、これとずっと「格闘」していったら、なかなかいいものは見えるかもしれないってことだけは言っておくよ、『四つ這いおとな』なんてサイト、立ち上げられたりしてね。

だからってみんなにすぐ共感してもらえるとは思ってないけど、僕が言いたいのは、

あなたが「死んだほうがまし」と思うような状況でも、生きているひとはいる

ってこと。そして、

だったら自分の状況も、ほんとは死んだほうがましなんてものじゃないんじゃないか?

ってそんなふうに思ってもらえたらいいなぁってことなんだ。

最後に、僕の好きな本、『ボディ・サイレント』からこんな一節を引用して終わりにする。明日もお互いの人生がおもしろくなることを願って。

さて、我々がこの探求の旅の冒頭に掲げた問いにもどろうとしよう。死は果たして身体障害よりもましなものだろうか?否。答えは否である。さもなければ我々があらゆる形の生―どのような制限を負わされていたにせよ―に見出すことのできる唯一の意味を否定することになるだろう。死んだほうがましという考え方は、身障者が生きることの価値とその権利を疑問視する最大の中傷だ。それでも我々身障者は生きるだろう。所詮すべての意味と価値は恣意的で、文化によって相対的なもの。例外として普遍的な価値をもつのはただひとつ。生、それ自体なのだから。

コメント

  1. T より:

    アスペルガー症候群、Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder、学習障害、強迫性障害、チック症、強い拘りを持った僕はいつも1人だった。それでも14歳の頃好きな人ができた。僕はまずその人に好かれる為の計画表を作り、自分を戒める為に掟を作った。計画を淡々とこなし、ついに卒業式の日が来た。結果は勿論、振られてしまった。その後も高校に入学してからもたった一人で勉強だけに取り組んだ。だが、対人関係と勉強についていけず一年で退学。幸いなことに実家が農家だった。

    「生まれながらにハンデを背負い、隠して、他人の為に生きていく」

    僕は全てを失った。そして、全てを受け入れた。

    それから10年経った今、僕は決して叶わない、儚い夢をみている。

    彼女が僕の所に来る、その日を。

    • Tさん、こんにちは。

      ここでは隠さずに伝えてくれて、ありがとうございます。

      そんなあなたともわかり合うこと、それが僕の、切なる夢です。

      • T より:

        ありがとうございます。僕が四つ這いおとなさんのブログに返信をしたのは、他の方とは違う既成の枠にとらわれない素晴らしい内容だからです。きっと貴方なら沢山の方々を幸せに出来ると思います。生きていて良かったです。誤字があったらすみません。僕と会話してくださりありがとうございました。

        • 会話しているのは僕の意志なので、

          会話してくださりありがとうございました

          なんて、そんなことを言うことではないです。

          そしてよかったら、これからもいつでも気軽に、話しかけてくださいね。

          誤字なんて、そんなささいなことは、どうでもいいんですから。

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