生活保護は「切り札」だから、ギリギリまでとっておきたい

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たくさんの手札

昨日、僕としては

障碍者は経済的に得だよね〜

っていうのは自分の感覚から言って的外れだと思うということを書いた。

今の世のなか、毎日が楽しくてしかたがない!っていうひとは間違いなく少数派で、ほとんどのひとはなんやかんや悩みや苦しみを抱えている...

で、そこで「生活保護」についても話題にした。だって、「障碍者手当」も「生活保護」もいわゆる「税金」だという意味では同じだもんね。そして、今自分はひと月あたり総額で10万6千円の手当をもらえているということを書いたけど、もし僕が生活保護を受けたとしたら、それがたぶん13万円くらいに上がるんじゃないかとも言った。あと、生活保護には「冬季加算」みたいなのもあるから、場合によると冬はもう少し増えるかもしれない。

それでも、僕が生活保護を受けたくない理由

でも、僕は生活保護を受けていない。相談に行ったこともない。でも仮に申請するとひと月13万円くらいもらえるようになるんだとすると、それと今との差額「2万4千円」は僕にとって確かに大きい。それは間違いない。

でも今のところ、僕は生活保護を受ける気はない。だってそれは、僕にとって「切り札」だから。それは「最後の手段」なんだ。そしてもしそれを受けるなら、またこっちも今とは違う「代償」を払わなきゃいけない。そう、「プライバシー」だ。

今でも、福祉事務所は定期的にうちにやってきて「モニタリング」をしているし、「介護員」(ヘルパー)さんは他人だけど生活空間に入り込んでくる。病院ではからだをいろいろ触られるし、手術をしたときは尿道に管を挿れられた。だから今だってプライバシーなんて気にしちゃやってられない部分はあるんだけどさ、「生活保護」になるとそのレベルがまた格段に上がるでしょ?

保護に至るまでの経歴はもちろん、銀行口座情報とか、家族の収入までかなり徹底的に調べられるだろう。家族には家族の生活があるから無理にとは言わないだろうけど、

息子さんを扶養できませんか?

とかいろいろ訊かれることにはなると思う。場合によっちゃ、きょうだいとか、親戚にまで聞き取りが行われるかもしれない。それって訊かれるほうの精神的にも、けっこうな負担だと思うんだよね。

それに生活保護を受けてからだったら、たとえばもし僕がこれから「Webライター」とかとして多少なりとも収入を得られるようになったとしても、その収入も含めすべて把握されるし、「へそくり」みたいなものを作るのも基本的にできないし、気が咎めるとも思うんだ。考えてみただけで、相当窮屈なんだよね。

生活保護は僕にとって「切り札」なんだ

そりゃあ、他にどうしようもなくなったら生活保護だって受けると思うよ。ただ黙って死んでいくのはイヤだし、からだの機能だってますます弱っていくかもしれないしね。でも、それはあくまで「切り札」なんだ。それを切っちゃったら、もうそれ以上のカードはないの。それがわかっててそれをやっちゃったらもうある意味「打つ手なし」、「まな板の鯉」だよね。

だからその「切り札」はギリギリまでとっておきたい。そしてやれるところまでもがいてみたいんだ。それにほら、

切り札は先に見せるな。 見せるなら、さらに奥の手を持て。

って言われたでしょ?

「ハンデ」はもらうけど、「切り札」は温存しつつやってみたい

切り札出しちゃうとさ、その時点で持ち札全部見せちゃったのと同じじゃん。それじゃつまらないし、楽しくない。だからって、

じゃあ障碍者手当も税金なんだからもらうなよ!

なんてなんでもかんでもごっちゃにしたことは言わないでよ? だってそれは「最低限のハンデ」でしょ?しかも正直に言えばそれでもまだ「割は合わない」んだから、これくらいいじゃない。

結局言いたいことは、

僕は切り札は残しつつ、他の手札を最大限活用してやれるところまでやってみるよ

ってこと。そしてこの『四つ這いおとな』は、その具体策のひとつなんだ。みんな自分の持ち札で精いっぱいいい「役」を作るしかないわけだけど、あと生きてる醍醐味は、ときどき思いも寄らない「配札」が来るってことだよね。自分なんて明日のからだがそれだけ調子いいか悪いかすら、起きてみないとわかんないんだから。ならせっかくだから、楽しみにしてみるしかないと思わない?さて明日は、どんな日になるかな?ってね。

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